コンピュータと人間


 自著「IT時代の歩き方」より章立てなど追記して転載。出版社の承諾を得て公開。

 

1. 人はITに何を求めてきたのか

 

 人間は自分の代わりに働いてくれる物が欲しくて自分の体をまねて様々な機械を作った。大きなクレーンのアームはまるで巨人の手のようだ。しかし機械を動かすにはまだ人間が必要だった。そこで次に人間の頭脳をまねてコンピュータを作った。今では人間の代わりにコンピュータが機械を動かしてくれる。今や洗濯機の中にもコンピュータが入っている。洗濯機の中のコンピュータは洗い、すすぎ、脱水を人の代わりに上手にこなしてくれる。でも、もしここでやめていたらIT社会は来なかった。

 

 人は互いにコミュニケーションをして意思を伝え合うことで人間社会を作り、共同作業をしている。もし、同じように世界の孤独なコンピュータたちを互いにつなげることができたら、コンピュータたちの共同作業が実現するのではないかと考えた。そして、人の社会をまねてインターネットが完成した。今や、世界中のコンピュータはつながっている。近い将来、家庭の炊飯器や洗濯機の中で孤独に働いてきた小さなコンピュータたちもインターネットにつながっていくだろう。これで、すべての舞台装置は揃った。人が求め続けてきた『自分の代わりに働いてくれる物』はもうじき完成する。でも、それだけでいいのだろうか。

 

2. 情報技術が人を壊すこともある

 

 今のIT(情報技術)は人間より技術が先行しているようで不安を感じる。かつて、SF作家のウィリアムギブソンは1984年に小説『ニューロマンサー』(訳本:早川文庫)の中で初めてサイバースペースという言葉を使った。テクノロジーにコントロールされ廃退したハイテクと汚濁の街チバ・シティ。現実より仮想のサイバースペースが現実味をおびる社会。人は自分たちの存在価値を見失い、サイバースペースの中にしか喜びを感じられなくなる。そしてサイバースペースにジャックインするために、人間の脳にさえも端子を付けてネットワークに接続する。

 

 今や、これはSF小説の世界だけではない。まさか頭に端子を付けている人はまだいないが、コンピュータにあまりにも同化してしまう依存症と言われる人たちがいる。自分と違う考えを認めることができないため人間関係を築けない。インターネットに没頭しすぎてネット中毒になってしまう人もいる。ネットワーク上のコミュニケーションに没入するあまり現実の人たちとのコミュニケーションができなくなる。そして、自分の存在価値をサイバースペースの中でしか満たせない。まるで、ニューロマンサーの世界のようだ。なぜ、こんな病気になるのか考えてみよう。人は人との付き合いに影響されて良くも悪くもなる。人とのコミュニケーションをないがしろにしてコンピュータとあまりに長時間付き合うと、心が病んでしまうことがある。

 

3. 人間はコンピュータと決定的に違う

 

 コンピュータの細かい仕組みは知らなくてもコンピュータは使える。でも、コンピュータの仕組みよりもっと大切なことがある。IT社会を生きていくためには、人間とコンピュータとの違いを知っておかなければならない。コンピュータは人間の脳の機能を『記憶』『演算』『制御』などに細かく分けてそれぞれを部品化している。だから、理解できないことでも何でも覚える。そして、コピーすれば同じ知識を持ったコンピュータがいくらでも作れる。しかし、人間をコンピュータと同様に考えて、自分の考えを相手にコピーしようとしても、それは無理である。人間とコンピュータは決定的に違うからだ。

 

 人間はニューロと呼ばれる140億個の脳細胞が互いにつながり漠然と機能を実現している。漠然としているから忘れたり間違えたりもするが、逆に豊かな創造性や感情も生まれる。人間の脳にはコンピュータのような記憶部品も計算回路もない。だから知識はコピーできないし、理解できないことは覚えない。同じテレビドラマを見ていても感じ方はみんな違っている。私は大学の授業の後に、学生が何を理解し、どう感じたかをいつもeメールでフィードバックしている。同じことを教えても各自の経験によって理解の仕方には大きな個性がある。だから、人間は面白いのである。

 

 今やたくさんのおもちゃの中にもコンピュータが内蔵されている。ファービー人形は遊んでいるとだんだん言葉を覚える・・・ように見える。でも、本当は初めから言葉を知っている。最初は知らないように見せかけて、だんだん覚えていくふりをしているだけだ。SONYのアイボもとてもよくできているが成長していくふりをしているだけだ。だから、おもちゃとして遊べる。飽きたら電源を切ってしまえばいい。電源さえ入れればいくらでも働く便利な道具として使える。もし人間のようなコンピュータを作ったら、そんなかわいそうなことはできない。まして、電源を切ることなど絶対できなくなる。

 

 人がITに求めることは『人と社会の代用品』ではない。人がITに求めているのは『便利な道具』なのだ。脳の仕組みをまねたニューロコンピュータと呼ばれる機械も研究されているが、まだ人間の道具の範囲は超えていないから安心だ。しかし、将来140億個の脳細胞と同じニューロコンピュータを作れる技術ができたら、本当にそんなくだらないものを科学者は作るのだろうか。そのコンピュータを育てるためには人間と同じ20年近くの教育が必要だ。人間と同じで間違いもする。そして、その機械は人間の寿命の何百倍も生きるだろう。それは、もはや道具ではない。道具のレベルを超えた機械は人を幸せにはしない。

 

4. ITと対人コミュニケーションの意味

 

 コミュニケーションの道具としてのITが人間に与える影響はないのだろうか。人は電話で話している時、相手にはどうせ見えないのに、おじぎをしたりいろいろな表情をしたりする。なぜだろうか。人は普段、目の前の人と話す時、言葉だけでは伝えられない気持ちを伝えるために、無意識に身振りや表情で表現している。電話の時もつい同じことをしているだけだ。

 

 でも、電話は相手に顔が見えないから、本当は身振りも表情も必要ない。だから、もし、会える人にいつも電話ばかりで話しているなら、電話中の身振りや表情はだんだん少なくなっていく。必要のないことは退化していくものだ。電話中に声だけは楽しそうにしていても、実はあくびをしていたり、寝転がってつまらない顔をしていたことはないだろうか。さらに、電子メールは字だけだ。楽しいという意味の顔文字を書いている時、自分の表情は笑っていない。声の表情すら不要になる。自分の持っている豊かなコミュニケーション力を退化させないためにも、あまり友達とメールばかりしていないで直接会って話す時間を作ろう。

 

 子供にも影響を与える。幼児期にテレビばかりを見せていると子供はまともに育たない。理由は簡単だ。テレビは勝手に話し続け、テレビに話しかけても答えてくれない。テレビが話しているのを無視して横を向いていてもテレビは怒らない。大切な時期にこの状態を続ければ、いつか両親はこんな光景に出会うだろう。親が話しかけても子供は答えてくれなくなる。そしてつまらないと親を無視してこっちを見なくなる。子供は親をまるでテレビと同じように扱う。本当のコミュニケーション能力は目の前に人がいなければ育たない。

 

 身振りや顔の表情、声の表情、相手との会話、これらの当たり前の能力は人間性そのものだ。失われてしまったら回復するのは困難である。ITはコミュニケーションを助け、表現力や発信力を強化するが、上手に使い分けることが大切である。IT時代だからこそ、直接、人と会話するコミュニケーションの意味が重要になってくる。仕事の連絡もメールばかりにたよらず、集まってこそ良い意見も出てくる。だから打合せが重要になる。『ITは人に何をしてくれるのか』ではなく、『人がITをどう使うのか』を考えなければいけない。

 

2002.6